大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和38年(あ)1880号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人川上隆、同伴廉三郎の上告趣意第一点について。

所論は判例違反をいうが、論旨二に引用する判例は、本件とは事案を異にするものであり、また原判決は、所持についてなんらの法律判断をも示していないのであるから、論旨三に引用する各判例と相反する判断をしたとの主張は、その前提を欠き、いずれも上告適法の理由に当らない。なお、本件のように、他人の立木がはえている土地の所有者が、立木の所有者に対し、その立木を永久に伐採しないことを確約しているような場合には、その立木の所持は、その所有者にあるものと解するのが相当である。

同第二点は、単なる法令違反の主張であり、同第三点は、事実誤認の主張であつて、いずれも上告適法の理由に当らない。

また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。(裁判長裁判官奥野健一 裁判官山田作之助 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)

弁護土川上隆、同伴廉三郎の上告趣意

<前略>

三、(本件の松の木の占有関係)

(一) 本件の松の木の生立していた畑地は、本事件の発生した当時は、すでに被告人の所有となつていたものであること、被告人はそれより四年余も以前の昭和三二年一月以来これを耕作しつつ現在に至つていることは、前述のとおりである。この事実関係からすれば、本件の畑地の占有が被告人に属するものであると解すべきことは一般の社会通念上極めて当然のことであるというべきである。

(二) 窃盗罪における占有とは、民法上の占有の概念とは異なり、より現実的な概念である(団藤「刑法各論」三一五頁)。現実的な概念であるが故に、そこには物に対する事実上の支配関係が存在することが必要であり、かつそれをもつて足りるのである。そして、事実上の支配関係が存するか否かは、結局は日常生活上の常態としてかかる関係が認められるか否かという規範的社会的観察に帰する外はないとされるのである(中義勝「刑法における占有の概念」綜合判例研究双書九七頁)。判例に、「刑法第二三五条に所謂窃取とは物に対する他人の所持を侵し其意に反して窃かにこれを自己の所持に移すことをいい、其所持とは一般の慣習に従い事実上物を支配する関係をいうものなりとす」(大判大正四年三月一八日刑録二一輯三〇九頁)とあり、まい「所持とは物に対する事実上の支配関係を指称するものとす。而して其支配の行わるる状態は物の自然的及び経済的性質に因りて自から定まり、必ずしも同一ならず」(大判大正五年五月一日刑録二二輯六七三頁)とあるのも、つまり前述のことと同一趣旨であると思われる。最高裁判所判例に、不法占有が窃盗罪の保護法益たりうるか否かの事案に関してではあるが、「現実にこれを所持している事実がある以上、所持という事実上の状態それ自体が独立の法益とせられ」るものとされるのがある(昭和二四年二月一五日判決、昭和三五年四月二六日集一四巻七八四頁)。この判例からすれば、窃盗罪における占有の概念、すなわち事実上の支配関係ということについては、極めて現実的な概念として取扱われるべきことが、より明確にされたものと考えてよいであろう。そうだとすれば、本件の松の木に対する占有が何人に属するかについては、本件の松の木が、被告人所有しかつ現に耕作しつつある本件の畑地に生立していたものであるという事実関係のみからしても、本件の松の木は被告人の事実上の所持の下にあつたものとみるべきこと、しかも被告人のみの事実上の所持の下にあつたことは疑いの余地もないように思われる。しかして、本件の場合も、もし仮りに本件の松の木の所有権が被告人以外のものに属するようなことがあるとしても、本件の松の木に対する占有そのものは被告人に属することは絶対に否定できないところである。

(三) 原判決は、本件の畑地とは別に大日開拓農業協同組合が払下げを受け、これを同組合が通称二本松部落民大木外一〇名の申請により同人等に対して払下げたため、同人等の共有になつたことが明らかであるから、本件の畑地をその後被告人が払下げを受けそこに本件の松の木が生立していたという事実があつたとしても、本件の松の木が被告人の占有に属することになつたものとは認めがたい旨判示しいるが、前記の最高裁判所判例の趣旨のように、占有とは財物に対する事実上の所持であり、しかも所持の概念は極めて現実的に解すべきとすれば、本件の場合被告人が本件の松の木を占有するものであることは正に当然の事由というべきである。本件の畑地に対する占有は被告人に属するが、そこに生立する本件の松の木は被告人の占有に属さないなどという奇妙なことは、一般の健全な社会通念からは決して許されないであろう。さらに原判決は、被告人が「通称二本松部落民から本件の松の木の占有の移転を受けたと認めるに足りる証拠がない」旨判示するのであるが、これは刑法における占有が事実上の所持を意味することを忘却し、徒らに民法における占有の承継の概念に拘泥しすぎた甚だ不当な考え方であるといわざるをえない。なお、本件の松の木には前記のとおり明認方法(それらしきものすらも)が全然施されていなかつたという事実関係からしても、本件の松の木が被告人ではなく大木外一〇名の占有に属していたものと解することは、従来の判例の立場を無視するものにほかならないであろう。

(四) これを要するに、原判決には、一つは土地とそこに生立する樹木の所有権の帰属関係、なお一つは窃盗罪における占有の概念に関して、それぞれ最高裁判所判例に相反した不当な判断をなせるものであるといわざるをえないのである。<以下省略>

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